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ヘブル人への手紙 10:1 - Japanese: 聖書 口語訳

1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

1 掟による古い制度は、来たるべき素晴らしい存在を暗示したに過ぎず、本物を完全には表せていない。 律法は毎年同じ生け贄を捧げるようにとある。神を礼拝する者は、それらの捧げ物を繰り返しささげる必要があったが、いつまでも掟が彼らを完全にすることはできなかった。

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Colloquial Japanese (1955)

1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。

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リビングバイブル

1 律法による古い制度は、やがてキリストが与えてくださるもののすばらしさを、かすかに味わわせてくれるにすぎません。いけにえは年ごとに何度もくり返されましたが、それをささげた人たちを救えませんでした。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

1 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

1 モーセの律法では将来に良いことが訪れるという光景もぼんやりとしたものでしかなかった。その掟は全てのものを完璧に描写するものではなかったのだ。モーセの律法では毎年、同じ生贄を捧げるように教え、彼らは神に礼拝するためにその行為を毎年続けたのだ。しかし、掟は決して人を完璧にするものではなかった。

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聖書 口語訳

1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。

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ヘブル人への手紙 10:1
13 相互参照  

また燔祭をささげた。すなわち、これを定めのようにささげた。


律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。


これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。


心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。


もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら――民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが――なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。


彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。


しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、


このように、天にあるもののひな型は、これらのものできよめられる必要があるが、天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。


大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。


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